大宝寺について

由来

山形城主の鳥居忠政の父、彦右衛門尉元忠は法華経に帰依し、下総森士に大教院日理上人を開山とする堂宇を建立、その後忠政の山形転封により山形城三の丸に同寺を移築、さらに延宝五年九世日耀上人の代、現在地に移った。当寺は大本山池上本門寺の直末の寺であり、当地方の蝕頭としての寺格がある。

大宝寺

正面御宝前

大宝寺

大宝寺年中行事

四月七日
鬼子母尊神祭典(除六三祭)
五月七日
最上位経王大菩薩祭典
七月七日
御施餓鬼会大法要
十月十三日
御会式大法要
十一月七日
星祭祈祷会

お寺について

最上殿(最上位経王大菩薩三十番神)

拝 殿

最上殿(最上位経王大菩薩三十番神)

拝殿と宮殿の二つから構成されており、明治二十年頃の建築で、毎年五月七日には、大祭が行われる。尚、この拝宮殿が二つに別れる様式は東北では当山だけである。

最上位経王大菩薩

久遠実成の本師釈尊の応現として、衆生の済度の為に菩薩の姿となって現れた法華経の守護神。その姿は白狐に乗る女神であり、五穀豊穣、心願成就、開運招福の利益がある。

三十番神

日本国中に祀られる三〇の神々が、一ヶ月、三十日の間、毎日順番に国家と人々を守るという信仰。日蓮宗では、この日本古来の神々を仰いで現世利益の祈願を捧げる慣わしが広く行われている。

大宝寺

日蓮聖人御真筆
建治元年(1275年)の作

「撰時抄」第3巻第15紙6行断。
本書は宗祖五大分の一つで法華経の末法広宣流布の必然性を明かし、また上行善薩の応化、末法の大導師としての聖人の責任を明かした書である。

大宝寺 鬼子母尊神

鬼子母尊神

安産や子育ての神として知られる。
もと人の子を取って食う悪鬼であったが、釈尊の教えを聞いて懺悔し、正法に帰依して法華経の守護神となった。

大宝寺 北辰妙見大菩薩

北辰妙見大菩薩

北斗七星を除災招福の尊星として神格化した仏教信仰。
国土守護や病気平癒を祈る北斗法の本尊として、又、多くの武家の軍神として尊崇された。

大宝寺 子育て鬼子母神

子育て鬼子母神

子供を抱く鬼子母神と十人の羅刹女の像で構成されていて、特に子供の無事成長と病気平癒にご利益がある。

大宝寺 後水尾天皇御宸筆

後水尾天皇御宸筆

第一〇八代天皇。名は政仁(ことひと)。後陽成天皇の第3皇子。徳川秀忠の娘和子(東福門院)を中宮としたが、幕府に反発して一六二九年(寛永六)娘の明正天皇に護位、以後四代五十一年にわたり院政。古筆切(こひつぎれ)の蒐集に熱心であった天皇は書に堪能で繊細で流麗な独自の境地を開いた。